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トッキー
2018.11.20 16:11日々の出来事

「弱さ」に居直る町山智浩

町山智浩氏が、11月18日にこんな連続ツイートをしていたので、一応紹介しておきます。

 


 

私は小林よしのり氏の『東大一直線』は連載開始から読んでおり、心優しくひ弱な漫画狂太こそ氏の心の自画像だと共感して愛読していました。氏自身はゴーマニズム以後、傲慢不遜な東大通をペルソナにまとい強く逞しく変身しましたが、今も心の奥底には私が愛した漫画狂太がまだいるのだと信じています。

梶原一騎はツルゲーネフやリルケを読むような純愛を夢見るロマンチストで「巨人の星」の漫画青年牧場や「愛と誠」の岩清水が内面的な自画像だったが、その内面を守るためか、有り余る欲望のためか、ヤクザなペルソナ、ヤクザな鎧をまとってしまった。その二重性は「人間凶器」に描かれている。

強がらないで、本当の自分でいれば、もっと素晴らしい作品を生み出しただろうと思います。

肉体的に強いかどうかと無関係に、強さに憧れ、強さを演じるのは、繊細でひ弱な心だからこそです。本当に強い人は強ぶりません。勝とうとしません。勝ちを誇りません。弱い者こそ弱さを克服すべきものとして憎みます。自分も弱いから梶原、石原、小林氏らが強さをまとった気持ちがよくわかるんです。

でも、梶原一騎の作品は、強いものを描いたからではなく、岩清水的な、弱い者の視点を含んでいたからこそ人々の共感を得たのだと思います。漫画狂太の弱さに共感した自分は、小林氏の近年の作品に漫画狂太を見出すことができなくて、悲しいのです。

長渕剛さんも、そうやって強さをまとって変身していった人ですね。徴兵検査に不合格になって体を鍛えて右翼団体を結成した三島由紀夫にその原点があるのかもしれません。

人間のほとんどは弱いので、弱さを否定していくと恐ろしいことになっていくと思います。

 


 

何と言いますか…
トキウラ流に以上のツイートを翻訳しますと、
「ボクは弱いんだ! 弱くて何が悪いんだ!
誰だって弱いんだ! 弱いのが本当の自分なんだ!
強くなろうとしている奴なんて、みんな嘘つきなんだ!
かつての小林よしのりは、弱そうだったから好きだったんだ!
強者になろうとしている小林よしのりなんか嫌いだーい!!」
…って、言ってることは、これだけですね。

自分の弱さから目を背けて強者ぶろうとする人は確かに多いかもしれないけれども、自分の弱さを見つめつつ、なおも自分の弱さを克服して、強くなろうとする人だっていくらでもいるんですよ。

なぜなら、この世は強くなければ生きてはいけず、強くならなければ自分も他人も守れないというのが現実なのですから。

「弱さを否定するな」と町山氏は言いますが、「弱さを否定する」ことと、「弱さを克服する」ことは違います。

「弱さを肯定する」ことは、「弱さに居直る」こととは全く違います。

町山氏は「弱さに居直っている」だけです。よしりん先生がよく批判する、いい年こいてすぐ「傷つけられた」と言い出す人と同類です。

間違いなく町山氏は『差別論』を読んでいないし、こんな薄っぺらい人に『戦争論』が理解できるわけがありません。

町山氏には、よしりん先生の座右の銘である「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」という言葉は決して理解できないでしょう。

ましてや、よしりん先生が「弱者のために強者になりたい」と宣言し、それを実践していることの凄さなど、死んでもわからないでしょうね。お気の毒に。

トッキー

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